行ってきました、インカ・マヤ・アステカ展。入館料 1400円・・・高いですね。シニア割引もないし、学割もない。(高は600円・中以下無料・・殆んど来てない)
世界遺産の宝庫、中南米三大文明。
インカといえば代表的なのがペルー、マヤはメキシコのユカタン半島からグァテマラ、ホンジュラスにそしてアステカはメキシコ中央部に時代と地域を隔てて栄えた文明の謎に迫る!っていうことで行ってきた。
月曜日は狙い目で、やはりすんなりと見学できた。
謎は謎を生むの例えの通りで、私は今まであちこち出かけて見てきたことを思い出すのと同時に、それぞれの説明はやはりあくまで説であって、どう理解するのかという点において遠くなってしまった。
いずれにしても、それぞれの造形の美しさには圧倒されるものがあるのは確かなこと。
彼らの残されたものから察するに、生贄は当然であったろうし、何かに対する畏敬の念といったらよいのか、その計り知れない何かのことを神と呼んだ。
信じることで何でも出来たのだろう、子どもを生贄に差し出すにしても、当の親にすれば身を引き裂かれるような想いであったと同時に、名誉であり我が子によって世界に太陽が昇り、幸せを呼ぶことが出来ると信じ込むよりなかったのだろうか。
マヤではチチェン・イッツアの球戯場にも見られる様に、硬いゴムを使って二チームが球技をし、勝てば名誉の生贄になり、負ければ負けたで身体を引き裂かれやはり生贄にされた。
アステカは14~16世紀に栄えた文明だ。
蛇をくわえた鷲が飛んできて、サボテンにとまったところに首都を作るようにとの言い伝えがあって、湖の中央の岩に生えていたサボテンに止まったのを見つけた。
そこはテスココ湖にあった小さな島で、そこに首都テノチティトランを作り周りをどんどん埋め立てて広げ出来上がっている。(現在のメキシコシティ)
そして周辺の都市を征服し広大な国を作っていった。
アステカの人々も自然界のあらゆるものを神とし、一番大切な生きた心臓を神にささげることで神を崇拝して盛んに生贄の儀式を行っていたらしい。
そのころの日本では鎌倉の終わりか室町の時代で、当時の日本人とアステカ人の生活感を比べてみると面白い。
インカも15世紀ころ栄えスペイン人の襲来で滅びていった。
ペルーでは金が産出してまさに黄金時代を築いたうえ、高度な石造りの技術で都市を作っていた。
その技術たるや、剃刀の一枚も通さぬ精巧さで、後から来たスペイン人たちが作らせた石造とは雲泥の差だ。
クスコからインカ道がたくさん作られ流通が盛んになっていったが文字を持たず、キープという紐に結び目や色などをつけ、情報を伝達させたという。
天空の都市マチュピチュはスペイン人に発見されなかったために現存しているといわれている。
これは欲張り企画で、ちょっと物足りない。
音声ガイドも500円で借りたが、内容が薄い、もうそれ知っているよ、って感じ。
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