今日は水曜日、映画レディースデイ。「ロードオブザリング」にしようと思ったが、始まる時間が遅いので次回に廻し、何にしようかで、見たい見たいとの欲求はないまま、何となく時間が丁度いい、との認識で「タイムライン」のチケットを買った。
期待していなかっただけの事はあった。ストーリーは題名の通り、タイムトラベル物語。14世紀に行って、英仏の100年戦争に巻き込まれ・・・やれ、トラブルがあって機械が壊れ、タイムリミットぎりぎりで、現代に戻る・・・何とも安易な物語.
1月7日から週2回の割合でヘルパー講座に行っている。理論は一応済み、先週から実技に入っている。私の周りにもご多分にもれず、高齢者はいる。今の所、しっかり自立した生活を送っている。たまに郊外の農協への買い物に誘うと喜んでついて来る。野菜も果物も重いし、お花は安いし、甘~いほかほかの焼いも1本200円。
週1-2回のボランティアにも行き始めて約3ヶ月。少しづつ社会との繋がりを復活しつつ、出来る事をやるのは遊び人Sachieとしては昔の勘を回復させるのに良いかもしれない。
ヘルーパー講座では何とも、タイムスリップした様な前時代的な方法での介助の場面が多々ある。こんな事しなくとも、もっと便利で使えるものがあるのに何で??と思う。しかし、現実にはたったビニール、タオルも充分に用意出来ない人もあると言う。生活保護を受けながら介護保険を使って、やりくりして・・・。一方、石鹸タオルシーツは有り余って、保管が邪魔臭い。あるいは玄関先に進物が山と積まれたお宅もあったり。うまく廻せると良いなぁと、ふっと思う。
今の所、縁あってお邪魔したお宅ではそういう場面はなかった。それが当たり前と思っているのだが、そうでもない所がどれ程あるのか?オーバーな話ではないのだろうか?
カテゴリー”Miyazaki”昨年暮れの宮崎紀行やっと完成しました。是非ごらん下さい。
最近沙漠に関する本を読みあさっています。数年前のチリ訪問に始まり、サンディエゴ、ペルーと全く日本とは違う気候風土に出会って、はまっていった次第です。
幸い知り合いで沙漠学会の会員の方がお出でですので、分からない事があると、メールで質問をさせて頂いてます。
この『沙漠』と言う字、サンズイです。石へんではありません。その筋の皆さんはこだわりを持ってます。沙漠という漢字は共に非常に乾燥している広野の意味を持っているという事です。
沙漠の生成成分は砂だけではなく砂礫やもう少し大きい石、或いは岩石が結晶化したり、エアーズロックのような物や、それぞれの組み合わせが無数で、長い地球的規模で風化や気候、水分との関わり、隆起など様々な時間的変化によって千変万化してきた結果なのです。ある人は。「砂漠の研究は惑星の研究に通ず」と言ったそうです。
地球陸地の3/1は乾燥地域となっていて、それぞれ地域的な特徴を持った沙漠を形成しています。それを調べていくと何もこんな所に住まなくても良いのにと思いたくなるような所でも、住めば都、我が家である事の持つ文化的な意味合い、価値観の違いも知る所となり、大きく世界観が変わって行くのが分かるのです。
小さな事でイジイジしている自分を見つけるにつけ、もっと大らかに肩肘の力を抜いて生きたいなぁ!と思えてくるのです。
いや~今日はほんわか、いい天気!いい気分!
さて、昨日2月の海洋大公開講座、「船の実験」に行ってきました。
午前中はちょいと病院に寄ったのですが、それがちょいとで済まなかった。診察はほんのちょいとで終わったけれど、予約してるにも関わらず、1時間以上待たされ、会計で1時間弱待たされ、結局2時間以上も拘束された格好となった。もう、うんざり。
その結果、午後の講座には遅刻をしてしまった。昼頃の高崎線は一電車乗りそこなうと20分近く待たされる。新幹線を利用して東京に出て、高い講座になった。
船に関する実験は、船は何故浮くのか、その重心と安定性という簡単な物だった。
1840年頃、イギリスのウィリアム・フリードは水槽を作り模型船から実船の抵抗を推定する方法を考えた人で、近代造船学の父と言われているそうだ。その時の船名からグレイハウンドの実験と呼ばれている。
海洋大にある大きな水槽を見学し、造波装置を動かして見せてくれた。
現実には船の運航は、静水上であることは殆んど無く、海流にしても天候や海底地形によって影響を受けるから、同じ条件と言うのはなく、殆んどが不確定の中で、これなら良いであろうという、推定の上の安全基準をもってされている。
この、推定をするという根拠が大事なのだけれど、それが高々150-160年位の発達線上に今がある訳で、その近代造船の歴史は案外浅い事を知った。
それにしても、近代以前の昔の人々の海への挑戦はえらい!!
講座の帰り道、同じ電車で元会社の同僚とばったり会った。これから飲み会に行くという事だった。私も一旦家に帰り、メモ書きを置いて合流した。7人もの懐かしい顔を見ながら、飲んだり食べたり歌ったり・・・、11時をまわっての帰還となった。